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最高裁判所第一小法廷 昭和43年(行ツ)44号 判決

上告人 釜谷道恵 外一四名

被上告人 国 外一名

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負損とする。

理由

上告代理人東城守一、同陶山圭之輔の上告理由第二点の一の(一)について。

原審の確定する事実関係のもとにおいては、本件依願免職処分そのものが上告人らとその所属する労働組合との関係を動機としてされたものといえないことは明らかであり、したがつて、右処分が不当労働行為に当たらない旨の原審の判断は、正当として是認するに足りる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

同(二)について。

所論は、本件依願免職処分は不当労働行為に該当し、それゆえ当然無効である、というが、右処分が不当労働行為に該当しないことは、前述のとおりであつて、所論はその前提を欠く。のみならず、仮に右処分に不当労働行為に該当する瑕疵が存するとしても、右処分がそのゆえに当然無効となるものでないことは、後述のとおりであつて、所論はこの点においても失当である。論旨は採用することができない。

同(三)について。

原審の確定する事実関係のもとにおいては、本件辞職願の撤回が信義に反するものでないかどうか、したがつて、本件依願免職処分が違法であるかどうかということは、必ずしも明白であるとはいえない。それゆえ、右処分は、仮に違法であるとしても、その瑕疵が明白であるとはいえないので、当然無効ということはできない旨の原審の判断は正当であり、その過程に所論の違法はない。論旨は採用することができない。

同第一点及び第二点の二、三について。

論旨は、要するに、原判決が上告人柳本を除く上告人ら(以下単に上告人らという。)の被上告人下市郵便局長に対する本件依頼免職処分の取消しを求める訴え(以下本訴という。)を不適法であるとして却下したのは、違法ひいては違憲である、というのである。

一  まず、本訴の適否について検討する。

1  公共企業体等労働関係法(以下「公労法」という。)二条一項二号イ(昭和四一年法律第八号による改正前のものであるが、実質上は現行法と変りはない。)の事業を行う国の経営する企業に勤務する一般職の国家公務員(同条二項二号参照。以下単に現業公務員という。)であつた上告人らは、いずれも昭和三六年三月一八日付で被上告人下市郵便局長から本件依願免職処分を受けたので、同年五月四日本訴を提起し、右処分には、本件辞職願撤回後にされたとの瑕疵、不当労働行為該当の瑕疵などの違法事由があると主張したこと、右処分につき人事院に対する審査請求がされていなかつたところ、第一審判決は、本訴を却下し、原判決も、本訴が行政事件訴訟特例法(昭和二三年法律第八一号。以下「行特法」という。)二条の訴願前置の要件を欠く不適法なものであり却下すべきであるとして、第一審判決を維持し、控訴を棄却したこと、以上の事実は、本件記録に徴して明らかである。

2  ところで、本件処分が国家公務員法(以下「国公法」という。)八九条一項の処分(以下不利益処分という。)に該当するとの原審の判断は、正当として是認することができるから、本訴の適否の問題は、結局、現業公務員に対する不利益処分の効力を裁判上争う方法いかんという問題にかかるものと解されるところ、この点について、およそ次のように解するのが相当である(最高裁昭和四六年(行ツ)第一四号同四九年七月一九日第二小法廷判決参照)。

すなわち、不利益処分は、行特法一条のいわゆる行政処分であつて、その効力を裁判上争うには、その瑕疵が重大かつ明白であるため右処分が当然無効であるといえないかぎり、取消訴訟(同条参照)によることを要するのであり、不当労働行為該当の瑕疵は、右処分の法律上の効力に影響を及ぼすが、それが重大かつ明白でないかぎり、当然無効の原因ではなく、取消の原因にとどまるものである。そして、右処分に対する行政段階における救済手続が不当労働行為該当の瑕疵を争う場合とそれ以外の瑕疵を争う場合とで明確截然と二分されているが(昭和三七年法律第一六一号による改正前の国公法九〇条、昭和三七年法律第一四〇号による改正前の公労法二五条の五、昭和三七年法律第一六一号による改正前の公労法四〇条三項参照)、それにも拘らず、一個同一の不利益処分に対する取消訴訟は、なお一個のものであつて、右瑕疵の区分は、訴訟上は単に攻撃防禦方法の提出ないし審理に関する区分としての意味を有するにすぎず、不利益処分に不服のある者は、直ちに右処分に対する取消訟訴を提起することができ、行特法五条所定の出訴期間内に適法に提起された訴訟においては、右処分のすべての瑕疵を争いうるのである。ただ、不当労働行為該当の瑕疵以外の瑕疵を当事者が主張しまた裁判所が審理するについて、行特法二条における訴願前置の趣旨に鑑み、審査請求(昭和三七年法律第一六一号による国公法九〇条参照)に対する人事院の裁決を経由することを要し、これを経ないかぎり(ただし、行特法二条但書の事由があるときは、右裁決を経由することを要しない。)その主張、審理が制限される結果となるものである(行特法二条の訴願前置は、右取消訴訟に関するかぎりは、出訴の要件ではなく、いわば主張、審理の要件であることになる。)。

3  右に述べたところにしたがえば、行特法五条一項の期間内に提起されたことが明らかな本訴は、いずれも適法なものというべきであり、本件処分について審査請求に対する人事院の裁決を経ていないから(なお、公共企業体等労働委員会に対する不当労働行為救済の申立てが行特法二条の訴願に当たらず、また右申立てをすることによつて、右の審査請求に代えることができるものでないこと、本訴の提起につき行特法二条但し書の「正当な事由」があるといえないことは、原審の判示するとおりであるから、右の点に関し、原判決に違法があるとの所論は失当であり、右違法を前提とする違憲の所論は、その前提を欠く。)、本訴の訴訟手続において、右処分に不当労働行為該当の瑕疵以外の瑕疵が存するとの点を主張、審理することは制限されるを免れないが、右処分に不当労働行為該当の瑕疵が存するとの点を主張、審理することが制限される理由はなく、したがつて、事実審裁判所としては、本訴を却下することなく、右後者の点につき判断を示して、その請求の当否につき結論を出すべきであつたといわなくてはならない。それゆえ、本訴を却下した第一審判決及びそれを維持した原判決は、違法であることが明らかである。

二  しかしながら、右の違法は、原判決の結論に影響を及ぼすものではない。その理由は、次のとおりである。

すなわち、上告人らは、第一次的に、被上告人国を相手に、本件処分が無効であることを前提として郵政省職員の地位にあることの確認を請求し、第二次的に、被上告人下市郵便局長を相手に、本件処分の取消しを求める旨の本訴の請求をしているところ、本訴につき、事実審裁判所が実体審理を尽くすべき点が、本件処分に不当労働行為該当の瑕疵があるか否かとの点、換言すれば、本件処分が不当労働行為に該当するか否かとの点のみであつたことは、既に述べたとおりである。ところで、右の点については、第一、二審において、当事者の弁論が充分に尽くされているといいうること、そして、第一、二審裁判所において、第一次請求につき、右の点に関し本件処分が不当労働行為に該当しないとの判断を示していること、また、被上告人らが常に一体となつて弁論をしているため、右の点についの第二次請求の弁論の内容は、第一次請求のそれと全く同一であることが記録上明瞭であるから、仮に第一、二審裁判所が第二次請求についても右の点につき実体判断を示すべきであるとの見解に立つとしても、第一次請求についての右判断と同一の判断を示したであろうことは、容易に推察しうるところである。そうであるとすると、右の点については、第二次請求である本訴についても、既に、第一、二審において充分に実体審理が遂げられているものと看ることができるのであり、しかも、本件処分が不当労働行為に該当しないとの原審の判断が正当であることは前述のとおりであるから、このような場合にまで、実体審理に関する審級の利益を保障する趣旨において、民訴法三九六条、三八八条により、原判決を破棄し、第一審判決を取り消したうえ、本訴を第一審裁判所に差し戻すことは必要ではなく、原審の右判断にそつて、本訴の請求につき結論を出すことが許されるものと解されるのである。右によると、本訴の請求は、理由がないものとして棄却を免れないことになるが、その結論は、原判決の結論よりも上告人らに不利益であるところ、民訴法三九六条、三八五条によると、上告人らのみの上告にかかる本訴につき、原判決より上告人らに不利益な結論となる判決をすることは許されないので、当裁判所は、原判決の結論を維持するほかなく、したがつて、原判決の前示の違法は、その結論に影響を及ぼさないことになる。

それゆえ、論旨は、結局、採用することができない。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判官 藤林益三 大隅健一郎 下田武三 岸盛一 岸上康夫)

上告代理人東城守一、同陶山圭之輔の上告理由

第一点原判決は憲法上保障された国民の裁判を受ける権利を侵害した違法があり破棄されねばならない。

――国民の裁判を受ける権利と訴願制度――

一、憲法三二条は「何人も裁判所において裁判を受ける権利を奪われない」とうたつて、何人たりとも自己の権利または利益が不法に侵害されたとみとめるときは、裁判所に対してその主張の当否の判断を求め救済に必要な措置をとることを求める権利――裁判請求権または訴権――を基本的人権として保障した。いうまでもなく旧憲法下においては「日本臣民は法律に定めたる裁判官の裁判を受くるの権を奪わるることなし」と規定していたが、これはもつぱら民事訴訟を提起する権利のみを考えていたものであり、行政事件についての訴権は保障されているところではなかつた。

ところが現行憲法は、司法権はもつぱら裁判所の権限としたの

で(憲法七六条)、この裁判を受ける国民の権利は当然に行政事件に関する訴権を含むものであることとなつた。

この規定の趣旨は国民がその権利または利益を不法に侵害されたとき裁判所が訴訟手続によつて判断し、必要な措置を裁判することが国民の自由または権利保護に不可欠であるとの近代民主主義理念にもとづくものである。

そしてこの裁判を受ける権利は、国民が裁判を求めて訴を提起したとき裁判所に「裁判の拒絶」を禁止するものである。

したがつて裁判の性質や裁判所の組織などから合理的な範囲の制約はあつたとしても裁判に関する手続その他を定める法律制度は、できる限り国民の裁判を受ける権利を制限し或いは侵害しないよう定められねばならず又これらの制度の運用においても出来る限り裁判を受ける権利を広く尊重し、いやしくも不合理な制限を加えるようなことがあつてはならない。

二、ところで本件当時在続していた行政事件訴訟特例法(昭和二三年法律第八一号)二条は訴願前置主義をとり行政行為の違法を争い取消を求める裁判にあつては、前提として行政庁に対する訴願を前置しなければ訴が不適法となることとし、国民の裁判を受ける権利に対する手続上の制限を定めていた。しかも、「訴願」自体については法律は極めて不備不統一であつた。即ち行政処分に対する不服申立の方法は各法律の定めるところ甚だ不統一で名称も異議申立、審査の請求、訴願等まちまちであり、一般法としての訴願法(明治二三年法律第一〇五号)の規定は存在したが、異議申立、審査請求等については一般的規定とみるべきものはなく、また訴願法自体も規定は不備の識を免れず、その他の法律の規定は、その立法に当つてその時々の必要と便宜に基づいてなされたものが多く、全体として行政上の不服申立の方法は極めて不備不統一であり、どんな事項についてどこへ救済を求めるか、手続、形式などの点についても必ずしも明瞭でないものであつた。そのため国民の裁判を受ける権利を尊重する立場から行政事件訴訟特例法二条に定める訴願前置主義の制度を立法論として否定し、或いはこの規定の解釈適用に当つて出来る限り広く解釈して裁判を受ける権利がこの制度によつて侵害されないよう配慮するのが判例学説の一貫してきた立場であつた。

三、しかるに原判決は、上告人等が訴願の前置手続として行つた公共企業体等労働委員会(以下公労委という)に対する本件免職処分についての取消を求める救済申立は、公労委が審査した上「当該事件についても最も適切妥当と考えられる原状回復の具体的措置を講ずることによりその救済をはかる制度であつて行政行為の効力の判断などは行政機関としての公労委の権限に属せず」との理由から訴願に当らないとし、本件訴の却下を免れないものと判断したのである。この判決は右に述べた国民の裁判を受ける権利を尊重し訴願を広く解釈運用する立場に明らかに反するものである。

訴訟上実体的には違法であり取消されるべきであるにもかかわらず、上告人等はいずれも賃金のみを唯一の生活の糧にしている労働者であつて免職処分という重大な処分にたいする救済を裁判所に求めていることも看過し、上告人等の訴権を否定したものであつて、上告人等の憲法上保障された裁判を受ける権利に対する重大な侵害であり、否定であるといわねばならない。よつて原判決は破棄されねばならない。

第二点原判決は法令の解釈適用の誤りがあり、理由不備の違法があつて破棄されねばならない。

一、免職処分は無効であり取消すべき行政処分ではない。

(一) 原判決は上告人等が第一審以来主張し続けた本件免職処分の無効原因、即ち

〈1〉 免職処分の前提となる辞職願の提出が本人の自由意思にもとづかないものであること。

〈2〉 本件免職処分は上告人等が全逓信労働組合の電通合理化反対闘争の方針に従い辞職願を撤回をしたが故にこれを無視して免職発令したもので労組法第七条第一号、第三号に該当する不当労働行為であること。

〈3〉 本件免職処分が全逓労組と郵政省との間に締結された「電通合理化によつて過員を生じた際、その過員を理由としては本務者を解雇する措置は行わない」の労働協約に違反する。

〈4〉 辞職願を免職発令前に撤回するのは自由であり、辞職願の撤回を無視して行つた本件免職処分は一見明白にして重大な瑕疵のある行政処分というべく無効である等の論点については第一審判決と全く同一の立場と理由によつて否定し排斥した(原判決一三枚目四行目以下)。

ところで右のうち、〈4〉の点は従来の最高裁判例(昭和三三年(オ)第五三八号、同三四年六月二八日第二小法廷判決)にもとづくものと考えられるが、〈2〉〈3〉の論点についてはこれを排斥する理由が極めて不明確である。

この点第一審判決によれば、郵政当局が上告人等の辞職願の撤回を無視し免職処分を発令したのは「当時当局側は原告らの辞職願の撤回が単に組合の指示にしたがつたものに過ぎず、しかもそれには個人的事情はなく、信義則に反し違法であるとして右撤回申出を無視し本件依願免職処分を発令したものであり、原告らの組合活動などを、すなわち組合との関係を動機とした処分とは認め得ないし、かえつて直営化に基づく原告らの職場確保のため公社への転出を期待してなした処分であると認められる」と認定しており、原判決もこれを支持している。しかしこの判示部分のうち前段部分は郵政当局が本件辞職願の撤回を無視した理由が「組合の指示にしたがつたものに過ぎず」と判断したことによるものであることを認めながら「原告らの組合活動などをすなわち組合との関係を動機とした処分とは認め得ない」と否定するのは全く理解に苦しむところである。

判示前段部分で組合の指示に従つたことを辞職願撤回無視の理由としながら何故に中段部分で組合との関係を動機とした処分とは認め得ないといいうるであろうか。おそらく郵政当局が辞職願の撤回を無視したのは、原告等が全逓労組の方針指示に従い辞職願が撤回されたということを理由としているが、原告等個々人の具体的な組合活動を直接の動機とするものではないとの趣旨であろう。そうとすれば余りにも重大な理由の不備があるといわねばならない。即ち原告等の辞職願撤回の行為自体組合の方針に従いなされたものとして個々人の組合活動としての評価を受けるのは勿論のこと、不当労働行為はもともと個々人の組合活動自体を直接対象とするものでなくてもその加盟する労働組合の団結権を侵害する意図の下になされれば不当労働行為となるものである。仮りに原告等に個々に日常的に活発な組合活動がなく、使用者としての郵政当局が個々人の日常活動を直接的に対象として嫌悪したものでなくても、右判示前段部分認定のとおり組合の団結意思のもとに一定の行動をなしたことに対する差別的意思が明瞭な限り不当労働行為は成立するのである。換言すれば第一審判決及びこれを全部肯定する原審判決が使用者たる郵政当局が上告人等の辞職願撤回を無視した理由を組合の指示方針に従つたことにあると認定する以上この免職処分は不当労働行為であるとの結論が生ずるはずである。また右判示引用部分の後段の如く辞職願撤回を無視する理由が「原告らの職場確保のため公社への転出を期待してなした」側面があると認定されるとすれば、右前段部分といずれが決定的動機なりやを比較判断しなければ上告人等の不当労働行為の主張に対する判断とはならない。

今日不当労働行為意思の認定につき団結権侵害の意思と業務上の理由が併存すると見られるとき、いずれが決定的動機なりやを認定して不当労働行為の成否を判定するべきであるとするのが通説判例である。にもかかわらず原判決、第一審判決はこれをなきず労働組合法七条の解釈適用を誤りこの点理由に不備があり破棄を免れない。

(二) 従来の裁判例は不当労働行為を構成する法律行為即無効という論理のすじみちを自明のこととして来たし、現にそうである。学説も一般にこのように解している。

(註) 石井照久「不当労働行為について」法曹時報 三巻四号六頁

〃 「労働基本権」有信堂 一六一頁

峯村光郎「解雇と不当労働行為」東洋経済新報(解雇をめぐる法律問題所収五二頁)

峯村、有泉「公労法、地公労法」一七四頁

菊地、林「労働組合法」コンメンタール九八頁 その他参照

不当労働行為に当る法律行為を無効とする根拠は「公序」に反するということによるものと説明するのが通説である。憲法二八条自体を公序とするか或いは労働組合法第七条各号が公序であるというかは別としていずれもこれを無効と解するのである。これは憲法二八条が保障する勤労者の団結権を保障・実現することが社会的規範秩序であり、公の秩序であるからである。このことは公共企業体等とこれに働く労働者との関係においても同様であり、これを一般民間の使用者と労働者との関係と区別する理由は何もないのである。

本件免職処分は不当労働行為であつて行政処分の無効原因に当り、したがつて上告人等の雇傭契約上の地位、郵政省職員たる地位は裁判上確認されねばならないものである(第一審昭和三八年一〇月七日付原告準備書面第一の四参照)。

(三) 原判決は最高裁判所の判例にしたがい辞職願の撤回を無視した依願免職処分の違法を無効原因とせず、取消原因とし取消し

得べき行政行為とした。

しかしながら無効な行政行為か取消し得べき行政行為かは結局行政行為の瑕疵の程度の差であり、その区別の目的、実益は行政事件争訟の提起に当つて、取消訴訟として行政事件訴訟特例法の出訴期間、訴願前置などの一定の制限に服しめるか、或いは無効確認訴訟としてこれらの制限を受けないかの訴訟提起手続等における区別にある。

したがつて無効な行政行為と取消し得べき行政行為の区別の標準も右の区別の意義、実益、目的に照して判断すべきである。

一般に行政行為に重大な瑕疵があつて外観上明白な場合には無効とし、然らざる場合を取消と考えられるようである(田中二郎・要説行政法・弘文堂一六七頁以下)。ところで先述の最高裁判所判決は辞職願撤回を「信義に反しない限り自由である」と述べているが、この判例を虚心に読めば辞職願の撤回は自由であり、これが大原則である。そしてこれらの例外とし信義則を利害調整弁として作用せしめようとするものである。そうであるとすれば辞職願の撤回を無視してなす依願免職処分は原則的に違法であり辞職願が免職発令前に撤回されたか否かは一見明白であるから結局原則的に一見明白な瑕疵があり、この瑕疵は辞職の意思なきものを免職するものであるから重大であるといわねばならない。右最高裁判所判例の言う例外としての修正形式である信義則違反の問題はあくまで例外であつて、瑕疵の重大性は問題外としても外観上明白であることの行政行為の無効要件を例外的信義則違反の有無にまでかからしめることは余りにも過大な明白性を要求するものとして妥当でないと言うべきである。前述のように無効、取消の区別の実益が行政事件における手続の取扱に差を持たしめることにあるとすれば、通常一般的に原則的に違法であることが明白な場合にはこれをもつて行政行為は無効とし(勿論重大性の要件も要する)、行政事件訴訟特例法の定める取消訴訟の制限に服しめるべきではない。特に行政事件訴訟特例法に定める訴願前置主義が前述の如く国民の裁判を受ける権利を侵害するものであり、又侵害するおそれの多いものであることからもこれらの制限にかからしめる必要のないものはかからしめないよう国民の裁判を受ける権利を尊重する立場から解釈するのが妥当である。

この点原判決は何等検討せず、例外的事由の不存在、存在にまで明白性の要件を拡大するもので誤りである。最高裁判所の判例も右の趣旨に照らして改められるべきである。

二、原判決は訴願前置主義に関する行政事件訴訟特例法二条の解釈適用を誤つているので破棄されるべきである。

――公労委に対する救済申立は訴願である――

(一) (原判決が公労委に対する救済申立を訴願に当らないとする理由)

原判決は本件上告人等が訴願を充すためには、国家公務員法にもとづく人事院に対する不利益審査請求を求めるべきで公労委に対する不当労働行為救済申立は行政事件訴訟特例法二条に云う訴願に当らずとして次の如く判示した。

「訴願前置制度の趣旨は裁判所に出訴する前に、当該行政処分の当否につき一応行政庁に反省の機会を与え、自主的解決を期待し、同時に行政手続による解決によつて司法機関の負担軽減をはかるにある。

従つて前記特例法二条にいう訴願とは、訴願前置の趣旨から考えて当該処分の適否ないし当不当を直接判断の対象とするものでなければならず、かかる審査の権限を有する機関に対してなされることを要するものと解すべきである。しかるに不当労働行為救済制度は、不当労働行為を受けた労働者または労働組合のためにできるだけ不当労働行為がなかつたと同じ状態を再現するため、当該事件について最も適切妥当と考えられる原状回復の具体的措置を講ずることによりその救済をはかる制度であつて、行政行為の効力の判断などは、行政機関としての公労委の権限に属せず」、したがつて公労委の救済申立は訴願に当らないというのである。

我々は、原判決のいう訴願制度の趣旨、即ち「行政処分の当否につき行政庁に反省の機会を与える」「自主的解決を期待し、同時に行政手続による解決によつて司法機関の負担軽減をはかる」ことから、何故に審査機関が「当該処分の適否ないし当不当を直接判断の対象とする」権限を有するものでなければならないのか、又不当労働行為の救済は「原状回復を命ずるもの」だから何故に訴願とはなりえないのか、又不当労働行為の審査は行政処分の適否や当不当を何等判断しないのかどうか、全く原判決のこの理由の了解に苦しむものである。これらの原判決の訴願の限定は自から判示する訴願制度の趣旨から当然に又何等の必然性をもつて引出される結論ではなく、何等理由なき限定である。以下に訴願制度の趣旨解釈などを検討して、その判旨が何等の合理性もないことを明らかにし、公労委に対する救済申立が訴願に当ることを論証する。

(二) 訴願の意義及び訴願前置制度の趣旨

行政事件訴訟特例法二条で定めていた訴願前置主義については、行政処分に対する不服申立方法について各法律が定めるところ甚だ不統一でその名称も異議申立・救済申立、審査請求、訴願などまちまちであり、不備不統一のままこれを前提として訴願前置主義をとるため解釈上極めて疑義を生ずる制度となつていたものである。そのため国民の裁判を受ける権利を侵害する結果となることもあつて、訴願制度については行政不服審査法の制定により統一をはかり、又訴願前置主義については原則的にこれを廃止したのである。

したがつて一定の行政処分に対する不服申立が訴願に当るかどうか、又訴願前置主義の解釈運用にあたつても第一点で既に述べたごとく、国民の裁判を受ける権利は近代国家における国民の権利を保障実現するため必要不可欠の基本的人権として保障されていることにかんがみ、通常これを広く解釈しいやしくも国民の迅速な裁判を受ける権利を不当に制限することのないよう解釈する立場が学説裁判例においても一貫してとられている。

この見地から訴願を考えたとき、訴願とは要するに行政庁が訴願人の訴願を受理し、これに対して裁決、法定等どのような名義に拘らず一定の判断をその訴願人に対する関係において行うものであつてみれば、すべて法令が関係者の救済の趣旨で認めた不服申立はすべて訴願である。

(註) 小沢文雄「行政処分の司法審査」民訴法講座 五巻一四一四頁

雄川一郎外「行政事件訴訟特例法逐条解説」ジユリスト選書一五二頁

訴願は又は、その行政処分の違法、不当を理由にその取消、変更のみを求めるのみでなく、原状回復を求めるため一定の行政庁に一定の形式に従つて審査を請求するものであり、又権利として訴願人が審理裁決を要するものである点が単に受理を要求するにとどまる請願と異るとされる。

(註) 田中二郎・要説行政法増補版 二九五頁

このことは行政事件訴訟特例法二条の条項から明らかである。

即ち同条は「その処分に対し法令の規定により訴願審査請求、異議の申立その他行政に対する不服申立のできる場合にはこれに対する裁決、決定その他の処分を経た後でなければ」訴をおこすことができないと規定していて行政庁に対する不服申立であれば足り特別この申立についての限定をしていないのである。又訴願機関についても限定はなく、処分庁とは異る第三者機関に救済申立をなしうるときこれに対する救済申立も訴願に当ること云うまでもない。これら訴願前置制度の趣旨とするところは、違法不当な行政処分についての是正をなすにつき、行政庁以外の機関によるよりまず行政庁内部の救済機関によつて行う方が実情を悉知しているので適切な処理がなしうること、手続が簡易迅速で当事者に有利であること、司法裁判所による取消の前に行政庁自体の反省の機会を与えられ自から取消すことが裁判所の負担を軽減させることなどであることから考えても右の如く訴願を広く解釈するのが妥当なのである。

(三) 原判決に対する批判

原判決は前述の如く訴願前置制度の趣旨を述べながらも、公労委に対する救済申立は、公労委が行政処分の適否、当不当を判断しないと独断し原状回復をはかることを命ずる機関であるから訴願に当らないとした。しかしながら、原判決にいうところの「行政庁に反省の機会を与える」「自主的解決を期待し、司法機関の負担を軽減する」との訴願前置制度の趣旨は公労委に対する不当労働行為救済申立によつても十分に全とうされうるものである。即ち、本件のように公労法の適用を受ける労働者が不利益な処分を受けたとして公労委にそれが不当労働行為であるとして処分庁を相手どり救済申立をしたとき、公労委は調査、審問及び事実の認定をし、必要な命令を発する(公労法二五条一号)のであつて、救済申立の全容は行政処分庁に知らされ公労委に調査され審問され、また、命令が出されると処分庁もこれに拘束されるのであり、右の行政庁内部の反省はもとより公労委手続で解決する場合も多く裁判所の負担軽減をはかる実際の役割を果しているのであり訴願前置制度の趣旨目的にかなつたものといわねばならない。

原判決のように訴願制度の趣旨からしては公労委がいかなる意味においてもこれに合致しないといういわれはない。また国民が迅速な救済を受けるという点からも公労委という専門機関であることからこの要請にかないうるものである。

原判決は公労委が処分の適否や、当、不当を判断しないとして、不当労働行為制度の解釈を誤り、訴願前置に価する訴願に当らないとした。この見解は余り明確ではないが、被上告人の原審における主張(昭和四二年四月七日付準備書面(第二))と同一の基調に立つものと考えられる。この考え方の中心は、要するに訴願前置は抗告訴訟に前置させるものであるから訴願が抗告争訟的内容をもつものでなければならない。しからざれば抗告訴訟に代置して解決が期待し難く、裁判所の負担も軽減されないということにある。しかしながら訴願に当るか否かは結局前述の訴願制度の意義と制度の趣旨に照して判断すべきことで、訴願が抗告争訟的内容を有するか否かで決するものではない。一定の行政処分に対して不服申立をなし訴願機関が訴願人との関係において判断することが義務づけられ訴願機関に係属し或いは裁判決定命令など結論を出すことによつて処分をした行政庁自体が反省する機会を与えられ、自主的解決が可能であり、その意味で裁判所の負担の軽減がはかられるものであれば訴願前置主義のもとにおける訴願に当たるのである。決して訴願がいうところの抗告争訟的内容をもつこと即ち違法不当を争い、これに対する訴願裁決がこの点を判断することによつて裁判所の負担が軽減されるものではない。けだし裁判所は行政行為の違法性の判断をするについて訴願裁決に拘束されるものではないからである。

重ねて言うが、裁判所の負担の軽減は訴願によつて行政庁が反省し、自主的に解決がはかられるという点にあるのである。

よつて公労委が訴願に当らぬとする原判決の理由が誤りであること明らかである。

更にまた本件のように個々の労働者が不当労働行為としての不利益待遇を受けたので公労委に救済申立をした場合を考えてみると、公労委はその申立にかかる行政処分が労組法第七条に該当する行為なのか否かを事実にもとづき判断しなければならない。即ち公労委は救済申立の対象となる行政処分について、それが労組法七条に違反する違法があるか否かを判断するのであるとし、この判断を前提として必要な原状回復その他の具体措置を命ずるのである。不当労働行為となる処分がただちに無効であることは既に述べたとおりであるが、仮りに取消事由となるものであるなら益々その理由となる労組法七条違反の有無を判断する公労委が原判決のいう適否当不当即ち処分の違法性を判断する抗告争訟的内容を持つものであること明らかである。

(四) 公労委に対する本件救済申立は訴願に当る。

既に公労委に対する救済申立が訴願に当ることについて国家公務員法、公労法との関係からも述べた(原審昭和四〇年二月二〇日付、同六月一九日付、控訴人等第一、第三準備書面)。

上告人等現業国家公務員は、昭和二七年の公労法改正により労組法第七条(第一号但書を除く)が適用され、行政庁の処分が労組法第七条に違反するとき不当労働行為として公労委に救済申立をすることとなつた。

現業国家公務員についても国家公務員法を適用され、一般の不利益処分に対しては人事院に審査請求をなしうるが、こと不服の事由が不当労働行為であるときは人事院に提訴することはできず、必らず公労委にのみ提訴しなければならない(公労法第四〇条第三項、国家公務員法第九八条第三項、第八九条)。

人事院に対する不利益処分審査の請求が訴願に当ることは原判決も認めるところであるが、処分の理由のうち不当労働行為即ち労組法七条に違反する違法な行政処分についてのみ訴願に当らないとする理由はどこにもないのである。いずれも違法不当な行政処分に対する救済機関であるからである。若し仮りに不当労働行為の場合と一般の人事院審査請求の場合と何等かの意味で異るというのであれば、非現業国家公務員に対する不当労働行為を禁止する国家公務員法第九八条三項の場合を考えれば明らかである。

即ち同条は非現業公務員が職員の組合その他職員団体の構成員であることこれを結成しようとしたこと、加入し若しくは加入しようとしたこと、又は団体における正当な行為をしたことを理由に不利益な処分を受けた場合である。この規定の意義・立法理由は労組法第七条一号と全く同趣旨であるが、この場合でも非現業国家公務員は人事院にこのことを理由として審査請求をなし、この審査は訴願に当るのである(人事院に対する不利益審査請求が訴願に当ることについては争いはなく、またこの場合国家公務員法九八条三項の場合を除外する限定をおく考え方は存しない)。してみれば全く団結権保護という憲法上の要請にもとづく不利益処分につき非現業の場合は人事院で訴願となり現業である上告人等公務員については公労委なるが故に訴願に当らないとすることは何等合理的根拠なく、実定法規の上ではいずれも訴願と解すべきこと当然である。ちなみに人事院の救済措置を定める国公法第九二条第一項、第二項の規定によれば、人事院は審査の結果不利益処分を承認し、又は裁量により修正し、そして処分を取消し職員としての権利を回復するための心要且つ適切な措置をとり、不当な処置を是正し、失つた俸給を遡及支払を命ずる等の措置を講ずることとなつている。一方、公共企業体等労働委員会も審査の結果にもとづき「その行為の取消を指示し又は命ずる」(改正前公労法第三六条)ものであり、又必要に応じてその行為に対応する実効性のある救済命令を発する等の措置を講ずるのである。要するに不利益な処分に対する救済の仕方は両者変るところがないのである。被控訴人のいうように人事院は決して処分の成立要件、有効要件の違法、適法のみで判断するのみでなく、いうところの具体的措置を命じて請求者の救済をはかるのである。もし、不利益処分が不当労働行為としてのそれである場合を考えれば、片や国公法第八九条第三項、片や公労法で準用される労組法第七条一号と適用法規の異いはあつても不当労働行為である不利益処分の救済として全く同一の判断がなされ、同一の措置がとられることは明らかである。

なお、被上告人等は原審において、公労法第四〇条三項において現業公務員についての不利益処分が労組法七条に該当するとき国家公務員法第九〇条以下の適用を排除しているので、このことを根拠に公労委における救済手続を訴願としない旨述べる如くである。しかしながら、右適用除外の趣旨は公労委という不当労働行為救済に適した専門機関に専権的に救済せしめることが立法政策上妥当であるとの配慮にもとづくもので、公労法の国家公務員法に対する特別法としての意味を明確にし、それ故に適用排除するものであつて、公労委救済申立を訴願としない根拠となるべきものではない。かえつて訴願となる人事院の不利益審査制度に対する公労委の審査制度の特別法としての意味を明確にするものであり、それ故に一層公労委の救済申立が訴願に当ることを明らかにしているのである。

若し原判決の如く公労委に対する不当労働行為救済申立を訴願に当らないと解すれば、不当労働行為となる行政処分を不当労働行為なるが故に即ち労組法七条一号に該当する違法ありとして行政処分の取消を求める抗告訴訟は提起し得ないこととなる。蓋し不当労働行為については前記の如く公労委にしか提訴できないからである。国民の裁判を妥ける権利をこのように不当労働行為の場合には否定することとなる解釈が誤りであること明らかである。

以上の次第であつて公労委の救済申立を訴願に当らずとする原判決の根拠は何等なきものであることが極めて明白である。実定法上も理論上のそのような根拠は存在しない。されば前述の訴願制度の意義と趣旨にたちかえつて国民の裁判を受ける権利を尊重する立場から本件上告人等の公労委救済申立は行政事件訴訟特例法にいう訴願に当り本件訴は適法であり、これを否定した原判決は行政事件訴訟特例法二条の解釈適用を誤つた違法があつて破棄を免れないものである。

三、原判決は行政事件訴訟特例法二条但書にいう正当事由の解釈適用を誤つた違法があり破棄されねばならない。

(一) 既に第一点で論じたように国民の裁判を受ける権利を保障する今日の憲法秩序の下においては、訴願制度と訴願前置主義がこの権利を制限し、裁判を受ける権利を奪う結果になるので、訴願を広く解釈し、訴願前置主義の要件をゆるやかに解釈適用すべきものである。そして更にこの観点から行政事件訴訟特例法二条但書にいう訴願を経ないことについての正当事由についてもこれを広く解釈適用し、訴願前置主義のもたらす弊害を最少限に止めるようにしなくてはならない。

(注) 田中二郎「行政争訟の法理」五八頁

雄川一郎「行政争訟法」法律学全集-一三八頁

兼子一「行政経済と司法救済-訴願前置に関する問題点」法の支配一九六〇年七月号

(二) 本件についてこれをみるに、上告人等に本件訴の提起にあたり前置されるべき訴願として公労委に対する申立をしたことを考えると、仮りに公労委に対する申立が訴願にあたらないとしてもそれ以外に人事院に対する不利益処分審査請求まで要求することは行政救済が国民の権利救済に迅速簡易に応じうるとの訴願前置主義の存在理由と相反し、国民に二重の無用の負担をかけることとなり余りにも酷に失する。又、本件にあつては訴の提起が昭和三六年四月になされ、被上告人等においても何等妨訴抗弁を提出せず、又第一審裁判所も何等釈明もせず、本件訴の適法を前提として本案についての攻撃防禦をつくし裁判自体も実体の審理をつくし第一審終結まぎわであつた昭和三八年七月五日付準備書面においてはじめて妨訴抗弁として主張されたものである。このように当事者が何等問題とせず、本案の審理を長期にわたり続けているとき行政庁の再考も機会が十分に与えられたとみるべきであり、この後に及んで訴願を経ることを要求するのは無意味であるといわねばならない。この点東京地方裁判所昭和三六年(行)第一三九号昭和三八・一二・二五群馬中央バス事件判決は正しくも次のように判示している。即ち、訴願前置主義を採用する以上訴願前置主義がその本来の効用を発揮すべきことが実質的に期待されるとは認められないような場合にいたずらに訴願前置主義の要件を形式的に適用して国民に無用の負担を課し、出訴の機会を狭めることは行政処分の適否をひろく司法審査に服させることとする制度の趣旨にそわない、同条但書が正当事由を規定するのもこの見地から出たものである、と。又、正当事由があるかどうかは主として問題の行政処分の性質、処分機関の構成、手続などの点から考察して訴願手続を経由させることが訴願前置主義本来の効用にかんがみ実質的に相当とされ期待されていると認められる場合に該るかどうかという観点から判断すべきである、と。本件の如く公労委のほか人事院に対する手続を経由せねばならないとすればこの判決にいうところの国民に無用の負担をかけることであり、既に第一審判決においても依願免職処分が違法であることが実体的に判定され、原審においてもこの点に関する立証も遂げているのであるから今更審査請求を要求するのは無意味であり、しかも本訴は予備的に取消訴訟を提起しているのであるから訴願不経由の瑕疵は治癒されていると見るべきである。したがつて正当事由ありといわねばならない。

(註) 最高裁判所昭和三二年(オ)第一八号同三三年九月九日第三小法廷判決最判・一二巻一三号

千葉地判昭和三七年九月一三日行政裁判例集一三巻九号

(三) 又現業国家公務員の場合法制が錯綜しており、公労委への提訴が訴願に当たり、人事院への審査請求まで経由しなくても訴願前置主義の要件は充足されると解したとしても、決して無理からぬことであり、このような場合公労委が訴願に当らずとしても訴願を経由しないことに正当な事由があつたものと云うべきである。

(注) 田中二郎「行政事件訴訟特例法逐条研究」一七二頁

兼子一「同書」一七〇頁

最高裁事務総局「行政事件訴訟十年史」一四一頁

(四) 上告人等はいずれも賃金のみで生活する労働者であつて、公労委、人事院と長期にわたり審査請求手続を経由した後でなければ出訴し得ないとすれば、その救済がおくれその生活は経済的にも精神的に破たんするものであり、このような事情の存する本件にあつて著しい損害を避けるため訴願を経由しなかつたとしても前記訴願制度と国民の裁判を受ける権利を尊重する立場からすれば正当な事由ありと解さねばならない。

原判決はこれらの全ての点を看過し、行政事件訴訟特例法二条但書にいう正当事由の解釈を誤り、上告人等の主張して来た事情を何等検討もせず、正当事由の存在を否定したものであり、結局同条の正当事由の解釈適用を誤つた違法があるので破棄を免れないものである。

よつて以上の理由により原判決は全部破棄した上、相当な裁判を求めるものである。

以上

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